• 2011年06月05日

災害復興支援ボランティアに参加

6月1日~3日まで、福島県相馬市と新地町に行ってきました。

このボランティアは、柏崎市社会福祉協議会が募集した「災害復興支援ボランティア」の第3陣。

6月1日、社協職員三人(うち一人は現地着後別行動)と応募したボランティア二人の計5人で一路福島県へ。

一日目と三日目は新地町で、二日目は相馬市で活動を行いました。

★6月1日(水)、3日(金)~新地町~

新地町役場のすぐ近くにあるプレハブの「新地町災害ボランティアセンター」で、朝9時に受付。

すぐさま、今日予定されている作業毎にグループ分けされます。

その後、活動内容や注意事項についてオリエンテーション。

私たちは二日間とも、津波の被害が大きかった地域の被災宅の「泥だし」作業でした。

新地町では、家屋や道路への大きな被害はないように見えました。

屋根の「ぐし」の部分にブルーシートをかけた家屋がポツポツと見える程度です。

しかしボランセンから5分ほど歩くと、景色は一変。

ここまで津波が来たんだなということが、はっきりと見てとれる状況でした。

家の基礎部分だけが残っている住家がほとんどです。

家の形はとどめているものの何か大きな力が家の中を突き抜けていったような、がらんどうの家がポツンポツンと建っています。

私たちボランティアの作業は、指示された宅地の土の中から埋まっている瓦礫を取除く作業でした。

瓦、ガラスの破片、本、外壁の破片などなど、様々なものが埋まっています。

それらを大まかに分別しながら、一箇所に集めていきます。

テレビの映像で目にしていた常磐線「新地駅」が近くに見えていました。

私たちが作業を行った宅地の被災者の方は、仮設住宅に住んでおられるということですが、この日現場に来ていられました。

60歳代と思われるその方は、生まれてこれまで、自分の家まで津波が来るとは思いもしなかったと言います。

海のすぐそばを走っていたJRの線路。

たとえ津波が発生したとしても、それを乗り越えて自分たちが住む宅地にまで押し寄せてくるとは全く考えていなかったと。

「わが家にあったモノは、全く見つからないんですよ」

津波はそのお宅にあったモノを全て流して、どこかにもっていってしまいました。

地震前は海は見えなかったと言いますが、今では大きな波が打ち寄せるのがこの位置からはっきりと見えます。

「またここに家を建てて住むかどうかはわからない。あの波を見ながら暮らすのもつらいしね…」とポツンと言いました。

6月2日(木) ~相馬市~

木曜日は新地町のボランセンがお休みということで、相馬市で活動をすることに。

相馬市のボランティアセンターは、商工会議所二階に間借りしていました。

9時の受付時間の前から、ボラセン入り口には多くのボランティアが集まっていました。

9時に受付開始。

この日の作業は、「泥だし」と「写真洗浄」のふたつ。

私たちは二人ずつに分かれて、それぞれの活動に参加しました。

私とSさんは、横浜から来られた男性ボランティアの車に乗せていただき、泥だしニーズのお宅へ。

うかがった被災宅はお花を生産している農家で、生産用のハウスとその中で育てていた出荷間近の5万鉢の花が全て流されてしまったというお宅でした。

「今年は収入ゼロだね…」と諦めかけていたところに、シクラメンの苗が届き、早速復旧したハウスで育てておられました。

私たちの作業は、ハウスが流されたままになっている土地の上層の土を取除く作業。

ワラやプラスチック製の植木鉢などが埋まっている土をスコップなどで掘って、一輪車にのせて土捨て場まで運びます。

結構な重労働で、大の男たちも息が上がっていました。

現場での作業終了時間が午後2時半と聞いて、最初は「随分早いな」と思いましたが、この作業内容だとこの時間で十分でした。

(私たちが車に乗せていただいた二人も、作業後すぐに帰るとのことでした。遠方から来られている方のためにも、作業2時半終了はちょうど良いのかもしれません)

三日間のボランティアが終りました。

私としては、もう少し被災者の方と話をしたかったという思いがありましたが、それはかないませんでした。

また泥だし作業などは、能率から言えば重機で行うことができれば、何十倍も早いと思いますし、「人間の手」をもっと他に使った方がいいのではないかなとも思いました。

新地町で作業を行った現場は、海と目と鼻の先。

「恐ろしい思いをした、この海がすぐそこに見えるこの土地に、果たして被災者の皆さんは戻って来られるのだろうか?」と思いながら作業を行いました。

依頼した被災者の方が「もうここには住まないかもしれない」とおっしゃるのを聞いて、そういう気持ちになるのが当然だろうなと思いました。

しかしそうだとすれば、今これだけのボランティアが行っている作業の意味あいは??

と思ってみたり、しかし、今は「まずは被災者の方が望むことをみんなで行う」ということに意味があるのかなと思ってみたりしました。

一番印象に残ったことは、やっぱり若者です!

福島から岩手まで、転々とボランティアをしている若者がいました。

ボランティアを行いながら車中泊をしていて、警察に怪しまれてしまったという、ちょっとヤンキーな若者もいました。

自分たちが勤務する福祉法人で参加者を募ってやってきたという若者グループ、カップルで参加している男女などなど…

被災地で、被災地の空気を感じながら過ごしてみたかった、その希望が叶った三日間でしたが、一度行ってみるだけじゃあダメだなと感じた三日間でした。