- 2016年11月26日
越後 門出和紙 小林さんを訪ねて
11月26日(土)、いい天気だった。
今日は幾人かをお訪ねする用があって、高柳町へ。
そのお一人、門出和紙の奥様を訪ねようと、まずは電話をとかけてみるがお話できず…。
女性は手元に携帯電話を置いていないこともままあるから…と、もしいらっしゃれば儲けもの!と、行ってみることにする。
工房の前に車を停めると、二階の窓から小林康生氏の顔がのぞく。
ああよかった!いっらしゃるみたいと、玄関で声をかけてみる。
アポなしだったが、二階に招き入れていただいた。
門出和紙の小林氏からは、定期的に「高紙の生紙便」が届く。
このお便りがまた、毎回示唆に富んだ素晴らしい内容なのだが、今日は幸運にも小林康生氏の生講義を贅沢にも私一人でお聞きすることができた。
この時期の工房はそれはそれは忙しいのだそうで、収穫した楮(こうぞ)を釜で蒸す作業と、年末年始需要が高まる酒のラベルの仕事が重なるのだそうだ。
確かに工房の表には、皮をはがれた美しい金色の楮の木が束ねられたものと、水に浸された皮があった。
皮をむかれた楮の木は何になるのかと伺ったら、和紙ランプシェードなどの枠に使うとのことだが、虫が好んで卵を産み付けることがあるそうで、買ったお客にはその旨承知しておいてもらう必要があると笑っておられた。
国内で最も楮を生産しているのは高知県だそうだが、国産楮をかき集めても、量としては全く足りないそうだ。
そこで、高知県と同じ緯度の土地で栽培できないかと、中国の山東省に苗を持ち込んで栽培が行われていると言う。
実際、日本で生産される和紙の原料となる国産楮(高知県産)の割合は7割にとどまるとのことだ。
さて、小林氏がこれから取り組もうとしていることが、「五感を育てる」ことだと言う。
知識を教えられたり習得したりして「わかる」のではなく、「そうだったのか」と本当に「わかる」には、五感が研ぎ澄まされないとわからないものだと言われた。
その例として「日本人は、やはり米(つくり)ではないか」と言う。
米は100年もその前も、つまり祖先も作っていた。
その祖先と同じこと(つまり現代農業ではなくて)をやってみると、それは先祖と対話していることになるのだ。
今はかろうじて、門出のお年寄りたちが昔から行われてきた様々な生きる術を持っている。
若者たちとそれを一緒にやってみることで、若者の五感を育てるということを真剣にやってみたい、そんな思いをうかがった。
小林康生さん、本当にすごい人である。
今日うかがったお話は、私はわかったようで、きっとよくわかっていないと思う。
小林さんが実践される本当に五感を育てる活動に参加してみたいものだ。