- 2016年11月21日
2016柏崎市長選挙終わる
3期12年市政運営をに担ってこられた、会田洋氏が勇退されることに伴い、新人二人で闘われた柏崎市長選挙は、桜井雅浩氏の当選で終った。
会田氏を支持して三回の市長選を闘った私としては、会田市政で成し遂げてきたことを誰に託すか、ということは大きな問題だった。
相談できる間柄の議員とも相談しながら、二回の選挙において会田氏の相手候補であった桜井雅浩氏に打診してみることを決める。
桜井氏に要請してみようと考えた最も大きな要因は、福島第一原子力発電所事故後(2011年3月)に、彼が出した文書の存在である。
事故前まで「原発推進派(彼は容認としている)」だった彼が、その考えを変えたことを書き記し、わざわざ新聞折り込みまで行って多くの市民に知らせようとした行動は、当時多くの人々が驚いた。
「私は自らの不明を恥じながら、今現在、そして今後について考えていることを書き記すことで過去への戒めとしたい」とした上で、
・エネルギー政策の抜本的見直し=原子力発電からの撤退と代替エネルギーの開発の必要性
・核燃料サイクルは行わない
などが述べられ、
一方で、柏崎刈羽など既存の原発立地地は、当面電力の供給に協力せざるを得ないという趣旨のことが書き綴られていた。
原子力発電所立地地である柏崎市には、原発関連の仕事や原発があるおかげで仕事量が一定程度あるという人も多く、地元の人間にとって原子力発電所の是非を語ることは難しい。
そうした、いわゆる「推進・容認」の人々の中にも、福島事故は多分ショックであり、立ち止まって考えるべきなのかなと考えた人は多いだろう。
しかし、彼のように自らの考えが変わったことを広く表明しようとした人を私は知らない。
会田市長は、原発の街柏崎の原発推・反対の市民の融和を図ろうと努力してきた。
その具体的施策の例が「明日の柏崎づくり事業」だ。
この事業は「原子力発電所に大きく依存しなくてもよい、経済産業構造を目指す」とし、それは行政や企業だけが考えればよいというものでなく、市民の皆さんに十分議論してもらう必要があると呼びかけた。
市民の中には「いつまでも、推進、反対と言っていても何も生まれない」と考える人は着実に増えていると思っている。
しかし会田市長の取組は、「完成」したというところまで行くことはできていないということも事実であろう。
そうした意思を受け継いで、原子力発電所誘致決議以来47年間柏崎市で続いてきた市民間の対立やわだかまりを終わらせるためのリーダーを望みたい、と私は考えた。
しかし、桜井氏に立候補を要請したという行動は、大きく批判された。
市民融和の前に大きく横たわっている「原発再稼働の是非」という問題解決なしには、前に進めないということだろう。
今回の選挙戦では、正直苦しい立場にならざるを得なかった。
「条件つき」であっても「再稼働容認」のインパクト、影響は大きかった。
原子力発電所の再稼働がまだ議論できる状況にない、という点は、避難計画の課題一つとってみてもはっきり言えるし、この点は竹内候補と同じ考えである。
しかし一方、市民間のわだかまりをなくし、市民そろって同じ方向を向いたまちづくりをしていきたいという点は、桜井氏に同感である。
報道機関が「再稼働について問う地元の首長選挙」と報道したがる向きがあるが、立地地は複雑だ。
知事選で米山氏を応援していた市民の中にも「あえて言うが桜井さんは原発推進派ではない」と述べていた人もいる。
地元紙新潟日報は、次のように報じている。
“出口調査では、再稼働について「反対」「どちらかと言えば反対」の回答が45.4%、「賛成」「どちらかと言えば賛成」の回答が36.8%だった。
桜井氏は再稼働に肯定的な人から圧倒的な支持を集めた上に、否定的な人からも一定の票を得た” と。
私は選挙戦の結果を伝える地元ラジオ局の放送を自宅で聞いていた。
桜井氏の後援会長は取材に答え、次のように述べている。
「私たちは竹内さんを支持した人たちとの間に溝を作ってはいけない。同じ市民としてこれからやっていくために」
今回の選挙で示された民意が「再稼働を認めないという主張が否定された」のではないか、という点だけに焦点をあてるべきではないと思う。
私たちの役割は、これから始まる新しい市政を見守り参画していくことにある。