- 2015年10月11日
父の一周忌 ~平和希求の法話~
い昨年秋に亡くなった父の一周忌を弟夫婦がとり行ってくれました。
亡くなった当初は、涙が出てしまうことが多かった母も、ようやく
父のいない日常に慣れてきたようです。
実家の菩提寺は勝願寺で、勝願寺のご住職にはいつもお世話になって
いますし、ご住職の法話は、高い見識と平和を希求する住職の強い
気持ちが込められているお説教を聞かせていただくことも、楽しみ
です。
昨日の一周忌のお経をあげていただいた後の法話は、このような内容
でした。
私は美術館や博物館をまわり、鑑賞を行うのが好きである。
今年春、東京で大英博物館展「100のモノが語る世界の歴史」を見てきた。
正直、大英博物館には、良いイメージばかりがあったわけではない。
しかし、今回の展覧会で大英博物館に対するイメージが少し変わった。
中略
展示されていたものの中には、私たちが博物館が収蔵していると、とても
イメージできないものもあった。
その一つに、モザンビークの内戦で使用された銃器で作られた「母」の
像がある。モザンビークでは、1976年から1992年まで激しい内戦が繰り
広げられた。内戦後、使われた銃を回収する平和プロジェクトが実施
された。そのプロジェクトとはこうだ。
内戦で使った銃を持って来れば、ミシンや鍬などの農機具と交換するとい
うことを国民に呼びかけた。
結果、回収された銃は700万丁にも上ったという。
そして、その回収された銃器を分解するなどしてその銃器で造った女性の
像「母」を地元芸術家が作ったのだという。
その像はちょっと不気味で、およそ気持ちのよい外観はない。
しかし回収した銃器を用いて、子どもを産み育てる平和のシンボルである
「母」を創るというその芸術家の考えには感心する。
鍬などを交換してもらおうと、国のあちらこちらから集まった銃は、
様々な外国製の銃であった。(自国で造ったものではない銃で、モザン
ビークの人々は闘い人を傷つけていたことになる)
しかし、それらの中に“日本製の武器”はなかった。
しかし、これからはどうなるのであろうか。
日本政府は「防衛装備移転三原則」で武器輸出はこれまでの原則禁止
から、条件を満たせば認められるようになった武器の輸出を認めて
しまった。
戦中戦後の味わったであろう父の苦労をねぎらいながら、これからも
平和を守っていかなければならないという強い気持ちを法話で私たちに
伝えていただいたのだと思います。