• 2015年09月02日

「たったあれだけ」という考え方

参議院で審議されている「安全保障関連法案」に対する不安が高まっている。

国政においては、政権与党が多数を占めるため、野党党首や野党議員は

「国民の世論によって廃案に追い込む後押しをしてほしい」と繰り返し訴え

ている。

 

国会周辺では連日国民が国会を取り囲んで、安保法案に反対しているが、

8月30日(日)には、主催者発表12万人、警察発表3万3千人もの人々が集結した

という。

このことに関する橋本大阪市長のツイッター発言を新潟日報が取り上げていた。

同紙によれば、「自身のツイッターで『たったあれだけの人数で国家の意思が決定

されるなんて民主主義の否定だ』と述べた」とし、また「日本の有権者数は1億

人。国会前のデモはそのうち、ほぼ数字にならないくらいだろう。」とも述べた

という。

 

確かに、いかに多くの国民がデモを行ったとしても、それをもって政策が決定する

という仕組みにはなっていない。しかし為政者は、常に多くの国民が何を考えて

いるか、実行しようとする政策が支持されているかを感じ取りながら政治を行う

ものではないだろうか。

それは、決して支持率がどうなるかを気にするというようなレベルではなくて、

例え選挙による民意をもって選ばれた存在であっても、選ばれた以降も当然耳を

傾け続ける必要があると思う。

日本の人口に比して「たったあれだけ」と言うが、国会周辺に集まる若者や多く

の人々の姿を新聞やテレビニュースなどで見て、「まだまだ国民の感性は鈍って

はいない」と安堵する人や、できれば自分も参加したいと考える人は多いと思う。

決して、実際に集まっている人々の数で、国民の意思をはかれるものではない。

 

この主張の内容は、そうした謙虚な姿勢に欠けているように思うがどうだろうか。