- 2015年05月31日
新潟水俣病公式確認50年式典
5月最後の日曜日、31日の午後から、新潟ユニゾンプラザにおいて
新潟水俣病が公式に確認されてから50年が経過したという意味の式典が
開催されました。
ご承知のように、新潟水俣病は昭和31年に熊本水俣病が公式発見後、
新潟県阿賀野川流域において発生した有機水銀中毒で、第二の水俣病
と呼ばれています。
原因は昭和電工鹿瀬工場が排出した工場排水であり、排水によって
川は汚染され、その川の魚を食するという流域の人々の当たり前の
生活を送っていただけの人々の体を一方的に蝕んだのです。
被害者代表として言葉を述べられた小武さんは、
「被害者としての50年は心も体も休まることはなかった」
「企業が富めば国民は豊かになると、いのちの恵みをいただいている
人々を歯牙にもかけなかった」と苦しさや憤っている気持ちを述べられ
ました。一方で、月日の流れは「同級会での厳しい視線も応援へと変化
した」と振り返られました。そして「全ての被害者の救済を行うことを
改めて求める」と強く述べられました。
印象的だったのは、昭和電工㈱代表の高橋取締役会長が「心よりの御詫び」
と「今後も解決に向け誠実に対応する」と述べたのに対し、
環境行政のトップとして参列された望月環境大臣の言葉の中には
「(このような)公害が二度と繰り返されないように環境行政を推進する」
と述べられたものの、全ての被害者を救済していく
強い意志を示す言葉は
ありませんでした。