• 2012年07月30日

中越沖地震5周年復興シンポジウム~これからの柏崎、「原発抜きには語れない」~

中越沖地震5周年復興シンポジウム

中越沖地震から5年を迎えた柏崎。これを機に、柏崎が中越沖地震からどのように復興したかを振り返るシンポジウムが、7月29日(日)に開催されました。

会田市長が、中越沖地震の被害概要と地震の特徴、そして柏崎市がどのように復旧していったかを基調報告。その後、東京大学名誉教授の伊藤 滋先生が「災害列島・日本の課題」と題して特別講演をされました。伊藤先生は、柏崎市の市勢概要を何度も読み直した上で提言するとして、次のような講演を行って柏崎市民にエールを送ってくださいました。

・日本には人口約10万人という、柏崎市と同程度の自治体が約300あるが、起こっている共通のことは急激な人口の減少と土地価格の急落だ。この300の都市の中で、どの都市が頑張れるかということが問われている

・ポイントは中心市街地を立ち直らせること。なるべく人がここに集まって住むようにすれば、サービスを集中させられる

・また高齢化が進展しているが、65歳~75歳までの85%の人は元気。この人たちにもう少し働いてもらって、月10万円くらい稼いでもらえると、高齢者を支える現役世代の負担が減る

・この高齢者の働く場として何があるか? 例えば、付加価値をつけた農業や、女性がホームオフィス(自宅)でPCを使った仕事をするなどが実現できないか

・柏崎市におけるこれからのまちづくりの進め方として次のような提言をしたい

○住み方を変える:街の中心に集まること、そうすれば税金を効率的に使うことができる。また高齢者の住宅だけでなく、若者が働く場所も確保すること

○中山間地に居住する高齢者は、その地域の平場の中心集落に順次集まること。そうすれば買い物支援などもしやすくなる

○市街地内の老朽化した家屋は取り壊したら、その後地は家庭型菜園に転用する。また市街地空地に良質な戸建て住宅団地を建設する。柏崎市は住宅敷地内で花や野菜を作っているというような良いイメージを積極的に作っていく

柏崎市で暮らしていて、柏崎のことをよく知っている筈の私たち以上に、柏崎のことをよく調べられて、講演された伊藤先生。柏崎のために何かアドバイスしてあげようという気持ちにあふれた講演でした。

さて長岡造形大学名誉教授で柏崎市の震災復興計画の策定委員長だった平井邦彦先生がコーディネーターをつとめられたシンポジウムは、商工会議所会頭の西川正男氏、新潟大学危機管理室教授の田村圭子氏、えんま通り復興協議会会長の中村康夫氏、防災科学技術研究所プロジェクトディレクターの長坂俊成氏、北鯖石コミュニティ振興協議会主事の間島みよ子氏と会田市長がパネリストとして登壇。それぞれの立場で、柏崎市の地震からの復旧復興を話をするとともに、今後の柏崎のまちづくりについて語りました。

市の外部の立場で市の復旧復興を見てきた、長坂氏と田村氏は、柏崎市の事例が東日本大震災をはじめ今後起こりうる災害時の復旧に大いに役立つと評価しました。

長坂氏は北条コミュニティセンターの活動を例にあげて、柏崎市のコミュニティ活動について大きく評価。また田村氏は、中越沖地震の際に柏崎市の職員とともに作り上げた、被災者台帳による生活再建支援システムが、もれのない支援を実現したとし、このシステムを使って被災者支援を進めた市と市の職員を労い大きく評価しました。

シンポジウムの後段、これからの柏崎のまちづくりについて各パネリストが発言。その中で西川商工会議所会頭は、原子力発電所のことを抜きにして、市の将来は語れないとして次のようにのべました。

「柏崎市は、原発と共存していくという道を選んだ。現在原発がこのような状況になって、前に進めという人もいれば、回れ右をせよという人もいる。しかしいずれにしても、方向性が決まっていないのが問題。早く方向を示してほしい。」

「原発で働く人は6千とも7千とも言われる。その人が半分にもなったら、スーパーマーケットやホテルなど様々な業種に影響が出るのは必至だ」

「日本の企業は、超円高などの影響で、低コストで良いものを造ることに専念しないと勝ち残れない状況。悲観的なことを言っても仕方ないが、なんと言っても柏崎に人が集まらなければならない。」

これに対して会田市長は、この間繰り返して述べているように、次のように述べました。「当面は、原発の運転は安全性を十分に高めた上で行われなければならない。しかし、将来的には、原発に過度に頼らない地域づくりを進めていかなければならない。」

 

柏崎市の地震からの復興のスピードは速く、その程度も目覚ましいと言われます。市の中にいると、なかなか分からない部分も多いですが、地震後の復旧に携わった識者の皆さんのお話は、改めて柏崎の復興の経過をよく理解できる機会になりました。

原発の再稼働については、多くの市民から、再稼働なしには市の経済は立ち行かないという声を聞きます。一方で、福島原発事故を見ていながら、なぜまだそのようにしか考えられないのかという声が多いのも事実。

シンポジウムでもあったように私も、これからのエネルギー政策と日本各地に建設された原発の稼働をどうするのかが決まっていないことが大きな問題だと思います。日本で使う電気を何によって発電する割合をどうするのか、そうするには、各地の原発をどの程度動かす必要があって、いつには止めるか、またそれまでに再生可能エネルギーの比率をどのような手法で高めていくかということをはっきりとさせてほしい。そうでないと、原発立地地域は、わが地域をどうしていくかを考えられない。あるものは動かせばいいという考え方にしかなれないのだと思います。

政府が全国で行っている、国民の声を聞くタウンミーティングですが、現政府のこれまでのやってきたことを見ると「声を聞いても結論はもう決まっているんじゃないの」と思ってしまします。毎週末抗議行動を展開している“首都圏反原発連合”などの国民の声の高まりに耳を傾けるべきです。