- 2011年07月17日
中越沖地震から四年が経ちました
7月16日、柏崎市が中越沖地震に見舞われてから丸四年が経ちました。
この日、10時から市民プラザで合同追悼式が行われました。
地震発生時刻の10時13分には、会場の参列者全員で黙祷。
地震によって命を落とされた方々に、復興を誓いました。
しかし、会場は気のせいか空席が目立ち、なんとなく以前のような雰囲気がなくなったように感じます。
柏崎市民にとっては、中越沖地震のことは忘れることはできない経験ですが、
今春発生した東日本大震災があまりにも大きな地震だったために、
柏崎市民自身の記憶を薄れさせるようなところがあるかもしれません。
さて同日14時から、県・柏崎市・刈羽村主催の「中越沖地震4周年シンポジウム」
が「原発の震災対策に求められるもの ~今後の原子力防災の方向性を探る~」
と題して開催されました。
会場の産業文化会館文化ホールには、ほとんどの席が埋まるほどの参加者でした。
(結構若い世代の方も多く、どんな周知の仕方をしたのかなぁと思うほどでした)
パネルディスカッションの出演者は、
○福島県南相馬市長 桜井 勝延 氏
○福島民報社論説委員長 鈴木 久 氏
○科学ジャーナリスト 東嶋 和子 氏
○日本リスク研究学会会長 長坂 俊成 氏
○原子力安全・保安院原子力安全広報課長 吉澤 雅隆 氏 の5人
コディネーターは、泉田裕彦新潟県知事でした。
パネルディスカッションの前に、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故
について振り返り、
福島第一原子力発電所事故初動における混乱や、現行の防災計画と実際の事態との
対照についてあげ、
論点として、①災害時において必要な情報とは、②今後の原子力防災を考える上で
重要なことは何か、の二点に絞ってパネルディスカッションに入りました。
桜井南相馬市長は、泉田県知事が市民の受入れを早期に表明してくれたことに対して
非常に感謝しているとして、
16日は首相はじめ政府関係者が福島県に来県しているが、泉田知事との約束の方を
尊重したと話しました。
やはりあの震災の中、市民を守ろうと奮闘した市長の言葉は、本当に訴えるものがありました。
市長が主に主張されていたことは、
・発災後、被災地以外の国民が、TVなどで知っている情報が、自分たちは全くわからなかった
(原発立地自治体にはそれなりに情報が提供されていたようだ。周辺自治体である我々への提供がなかった)
・誰が情報を責任を持って出すか、その点が非常に不十分
・市民の命を守る責任がある。そのために自分は避難させたかった。
このことを県から認めると言ってほしかったが、何度「協議中」と言われたか
・「原子力防災計画」にしても、計画を策定して良いかと国に打診していたのに、
策定の必要なしと言われてきたのだ
・現場(自治体)に情報を伝えなければ国民の命は守れない
・このような国家の危機の際に、国家として力を合わせるべきだ
確かに、中越沖地震の時にも、柏崎刈羽原発で変圧器火災が発生したことを
遠く他の県にいる人がTVで見て連絡をくれたことがありました。
今回の原発事故が、原子炉建家が爆発するという事故で
多量の放射性物質が放出されるという事故だったわけですから、それを近隣の
自治体が知らない・知らせなかったと言うことは大変なことです。
議論は、国の規制機関はどのような形であるべきかということに及びました。
被災地・原発立地自治体、全国民が納得できるようなものにしていく必要があると思います。