• 2011年05月04日

原子力政策に対する、作家「高村 薫さん」の主張を聞いて

5月3日の「NHKニュースウォッチ9」に作家高村薫さんが出演され、今回の福島第一原子力発電所の事故について語っておられた。
高村氏の主張はこうだ。
今回の原発事故は、自分が生きている間に起こるとは想像していなかかった。
この先、日本の国が国としての形を維持していけるのか、それくらいの瀬戸際に立たされている思う。

非常用のポンプが屋外に設置され、対策が施されていなかったことに愕然としている。
想定外という言葉が使われるが、そもそも想定しなければならなかったことが想定されていなかった
「人間がやることには限界がある」という以前の話だ。

「これで大丈夫だろうか」という想定をするときに、非常に恣意的に、自分たちの都合のいいように造ってきたという感じがする。
だからこれはモラルの問題だ。
原発の歴史は、賛成か反対かで村を二分するような歴史だった。
その中で本当の技術的問題が、私たちが理解されないまま、正しい情報が出ないままきた。

私たち国民・消費者はイデオロギーを脇において、まさに科学技術としてどのように技術的評価が行われてきたのか、それを知りたい。

この地震国で原子力発電をする時のコストを、もう一度冷静に計算をしなおしてみる必要がある。
例えば耐震化工事にかかる費用、こういう事故が万一起きたときにかかる補償や賠償の費用、その上で私たちがそれでも原発を使うのか。それこそ私たちに選択がかかっている。
私たちが今できるのは、逃れられない現実に耐えて見つめ続けるか、あるいは目をそらしてなかったことにするかだ。
逃げてはならないと思う。
現実に、福島で土地や仕事もなく今日も逃げなくてはならない人たちがいる。
時間がたてば元どおりになるという根拠はどこにもない。

これまでと同じように生きるという選択肢はない。
今すぐにはムリだが、原子力発電から脱却をするべきだ。
原子力発電の技術を否定するものではないが、日本は地震国なので無理なのだ。

以上のような見解だ。

実際に原発立地地域である柏崎に暮らし、高村氏が言う「原発の歴史は、賛成か反対かで村を二分するような歴史だった。その中で本当の技術的問題が、私たちが理解されないまま、正しい情報が出ないままきた。」ということを実感として感じている。

原発の安全性について口にすることで「原発反対なのか?」と即座に問われてしまうようなところが確かにある。
原発事故というものが、その周辺に住んでいる住民(これまで私たちが想像していたよりもはるかに広い範囲の人々)に対して影響を与え、海洋汚染などその地域に住んでいない人間の健康と生活にも大きな影響を及ぼすのだということがはっきりと分かった。
お金ですむ話ではないが、賠償金の額や支払う範囲についても不透明だ。

第一、このような事故の際に保険として支払われる額が1,200億円が上限であったという事実を今知らされたことに驚きと憤りを感じる。

私たちが車を運転するときに、対人無制限の補償を受けられる保険に入っていなければすごく不安な筈ではないか。

重大事故が起こった場合、到底、保険で払いきれるわけがないという想定のためか?

広瀬隆氏は著書「原子炉時限爆弾」の中で次のように述べている。

「電力会社は、日本国内の損害保険会社などが作った「日本原子力保険プール」に加盟して、原発一基あたり1,200億円までしか保険で賠償金をまかなう義務がないことになっている。」

というのだ。

そして、実は、仮に原子力発電所が事故を起こした場合に、被害はどれくらいに及ぶのか被害額はどのようになるかについて、国は試算していたというのだ。

広瀬氏は、1960年に科学技術庁の委託を受けて日本原子力産業会議が作成した極秘文書が存在していたと指摘している。

その報告書の標題は「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」。

当時計画が進められていた、日本最初の商業用原子炉である東海発電所で事故が発生した場合に保険会社がその補償を引き受けられるかを検討したものだとしている。(1974年に毎日新聞が報道したという)

そしてその報告書には「出力16.6万キロワットの東海発電所で大事故が発生し、わずか2%の放射能が放出された場合を想定して、日本全土が壊滅する、という結論であった」としている。

政府はこの報告書の存在を否定しているというが、本の中で述べられていることからすると報告書は実存したのだろう。

そして政府は、原発事故が発生した場合の補償額を知りたかったということ、そして試算による被害の程度や額を認識しながらも、原子力政策を進めてきたことになる。

そうだとすれば、このような事故が起こって、電力会社がその責任を問われるのは当然としても、国の責任はどうなのかということがもっと議論されるべきであると思う。

高村氏が言うように、日本は地震国である。

田中優氏も著書「原発に頼らない社会へ」の中で、「1970年から2000年にかけての30年間に、震度5以上の地震はイギリスは0、フランス、ドイツは2回、国土が極めて広いアメリカでも322回、それに対して国土の面積が極めて狭い日本には3,954回も起きている」と指摘している。

日本における原子力発電は、このような事故が起きた場合の補償経費をきちんと見こんだら電気事業として十分な採算がとれるのかどうかを検討してきたのか。

そうではないから、今日の混乱なのであろう。